【再考察】教師によって対応を変える子供たち

日常

「魔の2月」に突入して1週間が経過。新年度まであと少し…

疲れている教師やさみしい教師など、感じている気持ちは人それぞれです。

今、私のクラスでは、ちょっとした問題点が浮き彫りになりつつあります。

そのことについて、学校長と、前年度、「学級崩壊していたクラス」の様子について話しました。

「昨年度、子供たちに本当につらい経験をさせてしまった…」

「今、子供たちは本当に頑張っていますね。」

「でも、担任がいないときの動きに、まだ課題がありますね。」

「担任がいないときに、嫌な雰囲気が少しただよいます。

「一度崩壊すると、自分たちで律していくのは難しいのでしょうか…」

こんな、話を2人でしました。

今、私が困っているのは、「教師によって対応を変えてしまう子どもたち…」という点です。

今後、教科担任制が本格的に導入されていきます。

どんな場面でも「自分で律して」・「自分たちで伸びていける」集団を目指す中で、指導方法を再考察しました。

指導法をネットや書籍で調べても、指導法がたくさんありすぎて迷ってしまっています。

個性的な子供たちを前に、同じことを繰り返していてもなかなか効果がありませんが、共通してできることが1つだけあります。

いろいろ調べてみると、結局は「価値観の形成」だと落ち着きました。

効果があるかは、まだわかりませんが、残り2か月の過ごし方について、

「価値観の形成」の観点について詳しくまとめていきます。

値踏みをする子供たち

教師によって態度を変えてしまうこと…悲しいながら、このことは教師でも人によって態度を変える人がたくさんいますので何ともしがたい点です。

しかし、「学校は何のために来ているのか?」ということを子供たちが真に理解していれば値踏みなんてこと起きにくいと思います。(まだ、起きてしまっているので反省ばかりですが…)

私は、子供たちが学校にくる理由は以下の2つだと考えます。

  • 賢くなるため
  • 仲良くなるため

この2つの為に、日々子供たちは授業や休み時間を過ごしています。ですから、教師によって「値踏み」をすることで2つの目的が達成できないことが理解できていれば、人によって態度を変えるようなことは起きないと思います。

しかし、人間は楽な方に流されやすい生き物です。ですので、その価値観の形成のためにも教師の指導のラインをそろえることが、子供たちが自律していくことにつながると考えます。

指導ラインの統一

「どれぐらいまでやれば、どのていど叱られるか」

2月ともなれば、担任教師の前では、あまり子供たちはわざと甘えてみたり、わざと教師が困る・怒ることをやってみたりということはありません。

しかし、専科の先生に対して、教師を値踏みしにかかることはまだあります。特に、崩壊を経験した子供たちならなおさらです。教師は試されています。

だからこそ、担任教師は専科の科目であっても授業を観察し、価値観のブレがないように先生方と授業前・後に大事にしたいことを共有することが大切になってきます。

ついつい、私も専科の時間は授業以外の業務を職員室でこなしてしまうことがあったので、価値観のブレがないようにこれから、陰で観察しようと昨日、心に誓いました。

自分たちで律する

2月のこの時期に悩んでしまうのは自分の指導力不足が最たる原因ですが、自分を責めてばかりいてもなにも解決しませんので、改めて子供たちを観察しようと思います。

本来、自分たちの中に「価値観」を形成し、自分で判断ができる子どもたちになってほしいと声をかけ続けています。そもそもは、人によって態度を変えていること自体がおかしなことであると子供たち自身が気付けるように育つことが理想です。

「相手、相手の出方によって自分の態度を変える」「叱られなければ好き勝手をしてしまう」のは、自分の中に価値観が形成されていないからです。

難しいことですが、子供たちが自分で善悪を判断し、自分を律する力を身につけられるように育てていくためにも、教師たちの価値観をそろえる必要性があると感じた週末でした。

それでは、皆様にとっても、今日が充実した日となりますようにm(_ _)m

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