宿題が多すぎる…少なすぎる… 個別懇談記録

日常

保護者の方からの声に耳を傾けすぎると教師はつらくなるが、傾けないともっとつらくなる。

ということで、これまで宿題に関する声を保護者の方からたくさんいただいてきました。初任者の頃は学年主任と同じように宿題を出して、「多すぎる!」とよく言われました。そして、40前になると何も言われなくなってしまっています。教師の年齢や性別、言われやすさも大きいと思いますが、宿題についての議論はこれからも続いていくと思います。

私は、今は自主学習という形で、最低ラインだけ定め、他は子供たちの主体性に任せています。保護者の方の協力もあるのか、少なすぎると批判されたことはありません。具体的には3つの領域に分かれると思います。

【宿題の3分類】

①覚える系宿題(漢字練習・計算練習など):「やりなさい。」という感じ…

②考える系宿題(日記・調べ学習など):「やるぞう!」という感じ…

③鍛える系宿題(手伝い・運動など):「がんばるぞう!」という感じ…

私が教師になったころは、①覚える系の宿題が本当に主流でした。私は、もともと宿題が嫌いでした。だから、①の宿題をさせるのもいやでいやで仕方なかった思い出があります。今も、学校のルールで同じ漢字を何度も書いたいるする宿題が生き残ってしまっていますが、これから少しずつ減らしていければと思っています。個人的に②や③がどんどんと増えていけばよいと思います。②については、GIGA端末の活用が増えていくことで調べ学習が加速してほしいと考えています。③については、家事手伝いや肩たたきなど、保護者の方と交流し、さらに感謝もされるのできっと懇談時の話題にもなると思います。

「宿題が多すぎます!」という声にすべて対応していると、教師はつらくなってしまいます。しかし、その声に反応することで次は、「少なすぎます!」という声も出てきます。毎度毎度、反応するのではなく、そもそもそんな声が出ない宿題にすることが大事ですね。

教師の受け止め方次第で、保護者の方の声の意味も変わってきます。教師も子供も保護者も満足できる宿題の形を今も模索しています。GIGA端末の導入で、夏休みの宿題の形式も大きく変わってくると思います。これから対策をねってアイデアを改めてまとめていくことも大切になってきますね。

そんなことを考えていると貴重な休日の朝、あっという間に1時間が経ってしまいました。さぁ、奥さんと我が子を起こして有意義な休日にします。

今日も一日、充実した日になりますように。

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